こんにちは、TAKAです。
前回に引き続き、一戸富士雄、榎森進著「これならわかる東北の歴史Q&A」の感想を書いていきたいと思います。
書籍情報
書籍名:これならわかる東北の歴史Q&A
ページ数:148
初版発行:2008年6月15日
著者:一戸富士雄、榎森進
発行:株式会社大月書店
構成
1、北方に花開いた縄文文化
2、古代蝦夷の時代
3、躍動する北の中世
4、奥羽の激動の時代
5、統一政権と奥羽
6、北奥のアイヌ民族
7、奥羽諸藩と北方世界
8、奥羽地方の産業・商業
9、民衆の生活・風俗
10、奥羽地方の学問と文化
11、民衆と明治維新
12、自由民権運動
13、日清・日露の対外戦争
14、大正デモクラシーの展開
15、昭和恐慌と大凶作
16、戦時体制下の農民兵と民衆
17、アジア・太平洋戦争
18、敗戦、そして戦後改革
19、高度経済成長とその挫折
20、東北の豊かな民衆文化
11、民衆と明治維新
「東北」という概念自体は実は新しいものです。
近世までは日本海側の出羽と太平洋側の陸奥に国は分けられていました。更に北端と南端では冬に入るのが一か月程度違います。また文化的にもアイヌとの交流が深かった北部と中央政権との繋がりが深かった南部とでは違いがあります。
しかし、明治維新後は新政府に逆らった勢力が多くいたことから、東北は一様化され、ある種冷遇・差別される対象となっていきます。
この章の内容は凄く濃かったため、別の記事にして詳しく書きたいと思います。
12、自由民権運動
自由民権運動というと板垣退助といった西日本の活動家について教科書等で取り上げられることが多いですが、東北地方でも民主的な改革運動を求める人々は多くいました。
東北の自由民権運動で特徴的なのが千葉卓三郎、鈴木舎定、本多庸一などキリスト教の影響を受けた活動家が多くいるのが特徴です。
また中には福島事件など暴動に発展した事件などもありました。
13、日清・日露の対外戦争
日清戦争が始まると、東北からも仙台の第二師団が遼東半島や山東半島の戦いに参加します。
続く日露戦争でも第二師団は戦いに参加します。この戦いは福島県の歩兵二十九連隊だけでも総数約3700人のうち3100人もの方が亡くなる悲惨なものでした。しかも、その年の東北地方は記録的な大凶作でした。
戦地に向かわれた方は死んでも口減らしになるという悲痛な思いで戦ったと思うと悔やまれてなりません。
14、大正デモクラシーの展開
大正デモクラシーの思想に大きな影響を与えた吉野作造は宮城県出身です。
吉野作造は民衆の利益と幸福を政治目的とし、普通選挙制度と政党内閣制の実現を主張しました。
東北での公演も広く行い、多くの聴衆を集めるなど東北市民の政治への関心が如何に高かったが伺えます。
15、昭和恐慌と大凶作
世界恐慌はニューヨークウォール街の株価暴落で始まりましたが、米価と繭価の大暴落を中心とした農業恐慌という性格を持っていたということを始めて知りました。
結果、農業生産地帯であった東北経済は大打撃を受けました。
さらに東北地方を凶作が襲います。各県の米の生産高が20~50%も減少しました。特に山間部はひどく約80%も生産高が減少した地域がありました。
こうした状況の中、娘の身売りなどが横行し、「娘のいない村」が現れるまでになります。
まとめ
近代に入り、記録が生々しさを増している印象がありました。
また明治維新後は東北は新政府に抵抗したことからある種差別の対象となり、その状況を読んでいて正直悲しくなるものが多かったです。
東北の後進性は意図的に作られた。
これは歴史の事実としてある程度は正しいと思います。
しかし、私たちはこれを否定するのではなく、では次にどうしていくべきかを考える時代、考えれる時代にいることを前向きに捉えて考え続けていかなくてはいけないと思いました。
では、次回の記事でお会いしましょう。