「投資」という言葉を聞いてどのようなイメージを持たれますか?
お金を働かせ人間は何もしない、他人の成果の尻馬に乗るというようなマイナスイメージを持たれる方もいるかもしれません。
私は「投資」という行為は未来予測を行い、そこに自身のリスクを割り振る仕事だと考えています。
「未来予測」をすることは労働
皆さんは天気予報を見ますか?
明日は雨、午後から晴れるなど日々ニュースを目にしますよね。特に農業を行っている人はその天気予報により作物の世話を考えます。その為、天気を読むことは昔人類のほとんどが農耕を行っていた時代、天候のパターンを読み、分析に習熟していた人は集団の中で高い地位を保ちました。この様に未来を予想することは多くのデータ蓄積と分析に習熟する必要があり労力を有します。
「投資」は未来予測を行い、起こるべき事態に備え今するべきことを考え、実行することです。投資を本気で行った場合、多種多様なデータ蓄積と分析を行う必要があります。これが私が投資を労働だと考えた理由です。
また投資で設定する未来予想は論理的でなくてはいけません。そもそも根拠のない未来予想ではそこに至る道筋が描けるわけもなく、結果投資が始められないからです。
投資にリスク管理は必須
いくら多種多様なデータ蓄積と分析を行っても未来予想は簡単に外れます。
その為リスクは分散させる必要があります。一つの未来予想のために想定されるシナリオを多く書き上げ、コストを配置していきます。未来予想に近づくにつれ、ズレたシナリオを時に修正し、時に切り捨て、配置コストを上回るシナリオを維持し続けます。
この配置コストを上回るシナリオを維持し続ける作業がリスク管理に当たると考えています。リスク管理は投資を始めてから未来予測にたどり着くまで常に必要です。それは立派な労働だと思います。
投機とは、ありえない未来予想またはリスク管理をしない未来予想
論理的に説明ができない未来予想を作ってもそこに至る道は描けません。
都合の良い未来予想だけを思い描き、自身がどこを飛んでいるのか分からなくなった状態はリスク管理がされた未来予想ではありません。
いずれの場合も未来予想にたどり着く可能性は低くなります。
私見:生きている間は投資ができないのが理想なのかも
人間は生きている限り未来の事を考えます。
「ああしたい、こうしたい」、「あんな風になりたい」
突き詰めればみんな投資家なのかもしれないと思います。
エサを目の前に釣らされた馬の様にたどり着けない目的に対し道筋を考え続け、論理を構築し、軌道修正し続ける。
意識があるうちは的に当たったかなんて分からない。
こと切れて意識が無くなった時、周囲の人がたどり着けたのかもと判断してくれる。
だから人は一人では生きられないのかもしれません。
随分脱線したことを書いて今回は終わりにします。